ピュリッツァー賞受賞カメラマン 沢田教一 『SAWADA』
没後50年特別上映 35mmフィルムでリバイバル公開決定!!
フォトコン11月号では映画招待券をプレゼント♪

 

 戦場カメラマン沢田教一。ベトナム戦争で撮られピュリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」は、あまりにも有名な一枚。
 UPI通信の特派員として激化するベトナム戦争を取材。1970年10月28日、カンボジアの地にて銃撃され34歳の若さでこの世を去りました。

 彼がこの世を去り50年という節目に、1997年に公開した『SAWADA―青森からベトナムへピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』の35mmフィルムでのリバイバル公開が決定!!

 フォトコン11月号では、東京都写真美術館での上映招待券をプレゼント。
応募締め切りは10月29日となっています。詳しくは10月20日発売のフォトコン11月号をご覧ください。

1996年 スタンダード 35mm カラー ドキュメンタリー 115 分 配給:グループ現代 c グループ現代

<あらすじ>
 1936年、青森市に生まれた沢田教一は、新聞配達で稼いだお金で初めてカメラを買った 13歳の時 、写真というものの魅惑的な興奮に魅了された。早稲田大学入学に2度失敗した後、青森県三沢市の米軍基地近くの写真店で働く。そこで田沢サタと出会い結婚し、後に東京へ移住 。1961年、UPI東京支局に報道記者として入社。写真家としての能力を認めてくれない会社に不満を感じ、1965年に休職してベトナム戦争に向かうことを決意すると、徐々に評価を得て、同年のハーグ世界報道写真展で大賞を受賞。翌年には、川を渡って安全を確保しようと奮闘する ベトナム人農家を撮影。「安全への逃避」と題されたこの作品はピュリッツァー賞を受賞した。以後、他の人がやらないことにも果敢 に挑戦し、自ら進んでカンボジアの最前線に赴く。 1970年10月28日、彼の命は絶たれた。彼は UPI プノンペン支局長フランク・フロッシュとともに、プノンペンから南に32キロ離れたルート No.2で、クメール・ルージュに属していると思われるグループに殺されたのである。

『SAWADA 青森からベトナムへ
ピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』
監督 五十嵐匠   製作 小泉修吉
音楽 寺嶋民哉   撮影 堀田泰寛
配給 グループ現代

公開:11月3日( 火・祝 )~11月15日(日)
上映館:東京都写真美術館ホールにて公開
1日3回上映予定( 10:30 13:00 15:30 )
※休館日:11月9日(月)

11 月 7 日(土) 13:30 ~特別シンポジウム開催決定!!


沢田教一プロフィール
1936年(昭和 11 年) 2 月 22 日、青森市に生まれる。父親は郵便局員、五人兄弟の長男。
1950年 沖館中学から青森高校へ。
1954年 早稲田大学受験に二度失敗し、帰郷。市内の小島写真機店に務めるが、二ヶ月後、
小島氏の叔父が経営する米軍三沢基地内の店に移る。アメリカ人将兵とのつき合
いも増え、将校らに頼まれて、彼らの家族写真を撮影する。 5 月、ロバート・キャ
パ地雷にふれて爆死。
1956年 同じ写真店に務める 11 才年上の田沢サタと結婚。米軍直属の PX でポートレート
を撮るようになり、そして一人の将校から「ライカ」を譲り受ける。
1961年 カメラマンとし ての就職口をさがすために上京、三沢時代の米軍将校の紹介で、
UPI 東京支局に入社。 63 年海老原対 キングピッチのフライ級選手権、 64 年東京オ
リンピック等を取材。
1965年 1 か月の休暇をとって 2 月 1 日からベトナムを自費取材する。 7 日北ベトナム爆
撃開始。 7 月、 UPI のサイゴン支局特派員として赴任。 9 月 6 日「安全への逃避」撮影。
1966年 1 月「敵をつれて」、 2 月「泥まみれの死」撮影、国際的評価が高まる。
1967年 北ベトナム入りを画策するが、不成功。
1968年 2 月テト攻勢(フエの攻防)。 9 月、 UPI 香港支局写真部として転勤。
1969年 4 月ラオス、 7 月ベトナムからの米軍の第一次撤退をサイゴンで取材。
1970年 1 月、再びサイゴン特派員として赴任。 4 月、戦火はインドシナ三国全域に及ぶ。10月 28 日プノンペン支局長フランク・フロッシュとともに取材の帰路、カンボジア、プノンペン南の国道 2 号線上で銃撃にあい、殉職。彼のライカはなくなっていた。享年 34 才。


 平和、権利、思想を守るために人と人が銃口を向けあい戦っていた50年前。カメラも通信もアナログな時代に、懸命に戦争という現場に赴き、そこでのリアルを記録してい1人のカメラマンの生きざま。
 インターネットの普及、またSNSで様々な情報がすぐ共有(シェア)でき、どんな人にも発信でき、その発信にたいしてすぐに反応できる今。便利な反面、発信した思いと受け取り手の思いが必ずしも同じにならないもどかしさもあります。
 アナログ時代だったからこそなのか、特派員としての一途な使命感、沢田教一さんの魂がど直球にダイレクトに響く映画です。